世界が変わる? それとも自分が変わる?
2020年3月、我々が住む街を含む地域が「ロックダウン状態」に入ったことで
自分を取り巻く世界が一変した。
当時のドイツの状況は「都市封鎖」ではなかったものの、
「ステイホーム」がメインの厳格な接触制限だった。
例えばこんな感じ。
- 同居家族以外の人を家に招いてはダメですよ
- 同居家族以外の人と公共の場で会う時は二人まで、2メートルは離れてね
- 学校も幼稚園もお休みだけど、おじいちゃん・おばあちゃんは、孫のお世話をしないで!
(営業OKの業種の子どもの受け入れ先はある)
- 手洗い、せきやくしゃみの時の衛生マナーを徹底しよう
- 日常生活を維持するのに必要な、スーパーマーケット、薬局、ドラッグストア、医療関係は営業OK
- レストラン、居酒屋、映画館、文化施設、公園、遊園地、バーベキュー会場は営業NG、イベント中止
これによって、息子は幼稚園にも習い事にも行けない、友達にも会えない日々がスタート。
この時の息子の心境はこちら
フリーランスとして働いている妻は、業務委託を受けている会社のオフィスへの通勤を免除され、完全在宅勤務に。
そんな生活が2カ月以上も続くと、
息子の頬はふっくらと丸くなり
(完全に運動不足)
妻の神経はキレッキレに尖っていった…。
(数分おきの報連相を欠かさない「ホームオフィスの同僚=6歳の息子」が同室にいる苦悩)
一方、自分はというと「整形外科靴」という整形外科医が処方するオーダーメイドの医療用の靴を作るという仕事柄、幸い「営業OK」の業種に入った。
しかし、素材も機材も靴の木型も、なんにもない自宅でできる仕事は一つもない。
リモートワークはもちろん不可。
自分以外の家族は社会との接触を避けて、最低限の買い物や散歩以外は家にいる。
つまり、家族を危険に晒しているは自分ではないか、という不安が芽生えてくる。
勤める会社だって、コロナ危機を乗り越えられるか誰にも分からない。
フリーランスの妻の収入は、今後ますます不透明感を増す。
「安定した暮らし」だと思っていたものは、砂上の楼閣だったのだろうか。
静まり返る街の中を、毎日毎日通勤した。
電車に揺られながら、不安に揺さぶられながら通勤した。
このままでいいのか。
自分は何がしたいんだったかな。
一枚の紙が出てきた。
2012年のある晴れた10月の日曜日、当時はまだ結婚して1年目。
ライン川沿いを散歩しながら、これからどんな未来に向かおうか、思い付くまま妄想した自分たちの未来の姿をポツポツと話した。
妻が書き留めていたその日のメモには
「45歳で独立」「ハンドメイドの靴職人になる」と、書いてある。
2020年までには開業資金バッチリためて、日本に拠点を作って、自分のお店を開こうと、
自宅兼お店を持ち、1階を靴屋さん、二階を自宅として妻の仕事場を作ろうと、
そう夢みていたらしい。
今、あの頃の未来に立っている45歳の自分。
夢の続きを見るにはもう歳をとりすぎている?
いや、そのメモにはこうも書いてある
「夢は語ってみて、はじめて形をあらわす」
時間は戻らない、ならば進むしかない。
何から手をつけていいのかもまだ見えていないけど、
2020年版の「夢」を、妻に語ることから始めてみよう。
ーーこんな感じで、コロナ危機の最中に自分を見つめ直し、行動を起こそうと決意を新たにしたおっさんであった。
が、全てが思うほどうまくはいかないみたいだ。
こちらは午前中は息子と散歩に出かけ、ドイツの春の到来を、そのダイナミックな自然の変化を肌で感じたり、小さな花や生物に出会ったり。
今まで見えていなかった世界に触れた素晴らしい時間であったことも確かニャ。
でも、自分の仕事のためにまとまった時間が取れるのは、夫っさんが帰ってきた後の数時間と、息子が寝た後&起きる前の数時間。寝不足が続き、自分の時間が持てないことがじわりじわりと心から余裕を奪っていく……。
この感じ、何かに似ているーーそうだ、育児休暇の時の感じニャ〜!
次回、「吾輩のドイツで会社員生活と、これまでの日常」
ますはアウトプットだ! 思考の棚卸しだ!
と、ブログを書いて見ることにしてた吾輩は、妻の勧めでNoteにアカウントを開設。
しかし、そのアカウントはその後、およそ1カ月間放置される…。
「決意を新たにする」のは容易だが、実際に「日常生活を変える」ことは言うほど容易いことではないようで…。
会社員、父、夫として、ドイツでどのような日常を送っているのか、おっさんの実態に迫る!